鬼に金棒、授乳に手コキ
「授乳手コキ」
最近、脳全体にヘビが絡みつくかのようにこの5文字が頭から離れない。
初めてそれを認識したのはtwitterだった。
煩悩にまみれたオタクのRTで埋め尽くされる私のTLでは、裸の女性(のイラスト)が辱めにあったり、逆に男を押し倒したりと様々な妄想とリビドーによって生まれた叡智の結晶がピッケルで掘らずともザクザク目の前に溢れ出てくる。
しかし、全ての作品が私の性的嗜好に当てはまるわけではない。悲しいが「流石にちょっと…」の判定を受けるモノもあり、無限にも見える採取物の中から今日のおかずMissionに適合するのはマカライト鉱石くらいのレア度と認識して欲しい……意外とチョロいな。
元々、「貧乳」から始まった私のSayライフは現状の嗜好で満足せず、勉強には発揮されない上昇志向を余すことなく注ぎ込み、Attack all around の精神で挑戦していき、「レイプ物」「NTR」「失禁」と新たな分野を開拓していった。
そんなアスリートぶった性活で自身の欲望を満たす日々にも慣れてきた初夏。
その日はやってきた。
きっと二人 夏の途中で出会いのときめき感じてる
森の中 迷路迷い込んだ まるでそんな出会い
素敵な歌にもあるように運命の約束は指折り数えて待つものではなく、風に吹かれて突然やってくるのかもしれない。
ともあれ。
ジメジメした梅雨から抜け出した七月中旬。
授乳手コキに私は出会った
元来、母親の中で命を授かり生まれてくる私たち人間は母性本能の何たるかについて身を持って学んできた。
だとすれば、授乳手コキに興奮するのは遺伝子レベルのカルマではないだろうか。
しかし、私の感覚ではまだ授乳手コキは大衆に受け入れられてないように思う。
確かに、授乳手コキは現実性がないだの、性の営みを知らない哀れな成人男性が妄想の果てに築き上げた理想郷だの、等価交換の原則を無視してるなどの厳しい意見があるのも事実だ。
だがこんな格言を知っているだろうか。
人間が想像できることは、
人間が必ず実現できる ジュール・ヴェルヌ
何とも無限の可能性に溢れた言葉だ。ならば探し続けようではないか。未だ見ぬ授乳手コキを。ちなみに私は年上の貧乳女子にして欲しい。