『はいふり』完走した翌日、俺は海にいた
カレーが食べたい
目を覚まし床から抜け出したのが午前10時
空は快晴、体調は良好
郵便受けに投げ込まれていたチラシを拾うと野菜特売の文字が目に入る
気が付くと家を抜け出していた
ここ最近は焼きうどんとチャーハンを日常食にしていたせいだろうか、両手いっぱいにぶら下げたカレーの材料に息を切らしながらも何とか帰宅する。
カレーは野菜と肉を鍋にぶち込んで煮込めば簡単にできるイメージが強いけれど、久しぶりの調理はルーのパッケージ裏レシピを都度確認する有様だ。
しかし無音は少し寂しいのでBGM代わりに先日視聴したアニメの最終話を流す。
夕日に染まる港、いつぶりかの陸に歓喜する少女たち
オレンジ色の海に沈む艦、涙をこらえ敬礼する少女
息をするかのように流れる挿入歌
物語の終わりは何も劇的なものばかりではない。
静かに流れる小川に浮かぶ木の葉がゆっくりと進むように、緩やかに幕を閉じるストーリーもあるし、多分私はそんな結末が好きだ。
そんな考え事を巡らせていると煮込みすぎたジャガイモがルーの中に沈んでいくのが目に入った。きっと観測者がいなくとも、物語はエンドロールを目指すだろう。
しかしだからこそ、この目で見て触れてその一瞬を、移り行く今を思い出に残したいと願ってしまうのかもしない。
ということで
海に来た
灰色の学園生活を送った高校と大学の7年間、一度として海を訪れることはなかった。
夏は人が沢山いるし暑いし人が沢山いるし。
いわゆる陽キャと呼ばれる人種が精神的にも物理的にも波に乗って進むフィールド。
対極に位置する陰キャの私にはまったく縁のない世界。
せっかく海に面している県に住んでいるのだから行かないのは勿体ない、と思わなくもなかったが、失恋の叫びを響かせる機会すらなかったのでやはり私には縁がないのだろう。
しかし、最近視聴したあるアニメが私を海へと向かわせてくれた。
『はいふり』
熱しやすく冷めやすいと評されるタイプのオタクである私は裏を返せば色々なコンテンツに気軽に手を出せる性格と前向きに捉えている。
最初は半信半疑で視聴し始めたものの後半は涙と鼻水がとまることなく流れた。
『はいふり』そんな彼女たちは海の上で生活している。
だから海に来た
質感を得るために7年ものあいだ目をそらしてきた砂浜へ
10月は海水シーズンではないため誰もいないと考えていたが近所の野球部が浜辺で練習していた……なんかすまん
徒歩で海に向かう途中、コンビニで酒を手に取る。「ジーマ」の語感がドイツぽい(ドイツ語全く知らんけど)ので購入、実際はアメリカ産らしいので一つもかすってなかった。アルコールに弱い体質だが4%で飲みやすい、オススメです。
目の前に座りやすそうな手近なタイヤが廃棄されていたため着席。リュックからタッパーに詰めた手作りカレーを取り出す。海に来たらカレーだよね。(何となくネギを入れてみたが多分なくていい)
波の音を聞きながら浜辺に降り立つ
手ごろな木の棒を拾って文字を書く。海を訪れたカップルが砂浜に互いの名前を相合傘のアレで書きたくなる気持ちがよく分かる、文字って人類が生んだ最大の発明だよな
まずは生きていこうよ
向きは気にしないでさ
きみが笑顔になるだけで
ほらまたひとり七つの青は今日も 世界を包んでいた
言葉よりも優しく波打つ
晴れた空と あの風と
誰かのそばで 夢を描くのならば
その誰かがわたしでありたい
旅に出よう
見つけて そう
わたしときみの Ripple Effect
「どんな遠い海にも声は届いているね」
そう呟いて地平線の向こうで旅をする彼女たちに敬礼
ここ日本海だけど