アスイロ恋模様

140文字に収まらない感想や妄想の置き場です

夏休み

夏休み

そう聞いて思い浮かべるのは一体いつの自分だろう。

アサガオプランターを両手に抱え、リコーダーの飛び出たランドセルを背負いながら集団下校した小学校の終業式。

上を見上げるのが嫌になるくらい太陽がデカい顔した空の下を自転車にまたがって、これから始まる一ヶ月に胸を高鳴らせた中学校の終業式。

進路を控えるクラスに張り詰めた緊張感を不器用にほどくように、みんなヤケになって夏祭りの花火大会を誰それと行くなんて話題で持ちきりになった高校の終業式。

年齢や立場によって違いはあれど、目前にせまった夏休みに何かを期待せずにはいられなかった。ドラマやマンガ、アニメで高らかに謳われた夏。言葉にはしなくともきっと誰もが特別を信じた夏。

「夏休み」という単語は暑くて生きづらい夏を健康に配慮して設けられた長期休暇、ではなくて、一年に一回しか訪れない夏を力の限り楽しむために設けられたバケーションだと大真面目に思っていた。

そして誰もが「夏休み」を疑うことなんてしなかった。二度と同じ夏はこない、と手垢のついたセリフを恥ずかしげもなく吐くくせに、毎年必ず「夏休み」が迎えにきてくれると心のどこかで確信していた。

 

社会人になった今、「夏休み」は私を迎えにきてはくれなかった。昔なら七月の半ばにでもなれば、耳をふさいでいても聞こえるほど騒がしく八月の予定を持って現れたのに。夏祭りや市民プール、BBQに海水浴、浴衣のあの娘と連れ立って歩く花火大会も。どれもが「夏休み」のあとに続いて目の前からいなくなった。あれほど嫌だった夏休みの宿題でさえも。

隣町まで自転車で一時間以上汗をかいて進んだあの夏も、今では親のお下がりの自動車で十数分で着いてしまう。

しかし目的地にたどり着いてもそこに「夏休み」はいない。

あるのは変わった町並みと、いつまでも変わらずに青空を泳ぐ入道雲

そして気づくと、鬱陶しく鳴き続ける蝉の声と身を焼く太陽から逃れるように、エアコンの効いた自室で夏に休みを告げた。